とりあえずgreeting ということで。
面識のある人同士が挨拶を交わすことを exchange a greeting
Aに挨拶する greet A
面識のない人に対する挨拶は salutation, introduction
Well anyway, hi. これから自分の勉強、備忘録も兼ねて、気まぐれに英会話のワンポイントなどを書いていこうと思います。あとは日常のこととか。
Let me briefly introduce myself.
京都生まれハワイ・オーストラリア育ち、帰国してから英会話を教え始め、その間いろんな仕事にも就いてきました。しかし雇用形態は変われど、副職として(どっちが本職かわからないような時もありましたが)英会話を教えることだけは細々と続けてきました。
2010年に独立。ようやく好きなようにやってます。
ウソ。今までもずっと好きなようにやってきましたw
Now I'm pretty flexible.
父の思いつきで渡米したのが始まりでしたが、日本人学校などに入れてくれフォローしてくれるような両親ではなかったので、とにかく最初はキツかった。現地の学校にポン。あとは放置。自分でなんとかしろと。
最初は行くだけ。言葉が分からないので宿題も学校行事も何をすればいいのかわからない。
わからないなりにも自分なりに何かは提出し、イベント事にも前向きに参加していました。
ハワイは日系人がいましたが、その後永住したオーストラリアは周りに黄色人種はいなかった。(子供の行動範囲は狭いので、「学校」には一人もいなかった、と言う意味)。その時はハワイで少しだけ覚えてきた英語がアメリカン・イングリッシュだったため、オージーは大ブーイングでした。
G'day mate. から始まり、やっと結構OZ英語が聞き取れるようになったと思ったら、
ジャップへの悪評だということに気づき(子供は正直ですから)、
「知らないって幸せなんだなぁ。」と妙に感心したのを覚えています。そして凹んだ。
お友達の祖父に、"I can't let any Japs into our house!"って言われたのもショックでした。
そのあとにおしりに火が点いて、「絶対に負けたくない、とりあえず英語が話せるという点では。」と、悩みながらも燃え上がる。たしか日本が昭和から平成に変わったあたりでした。
その時の自分にコーチングしてあげたいな。
帰国してからも今度は日本にアジャストすることに苦労しましたが、
おかげでどこに行っても、一から、いや、ゼロから始めることにも、手放すことにもさほど抵抗がなくなったというか。。。度胸がつきました。
あとは。。。人に対して気が長くなった。ちょっとやそっとではビビらなくなった。いろんな人がいるんだということが早い段階で理解できたからでしょうか。
素晴らしい経験が出来て、両親には感謝しています。大きな宝としてありがたく活かしています。
"Be who you are and say what you feel, because those who mind don't matter, and those who matter don't mind" - Dr Suess
今のままの君でいていいんだよ。思ったままを言葉にしていいんだよ。
だってあれこれとやかく言う人を大事にする必要はないんだし、君が大事にしたいと思う人はあれこれとやかく言わないもんさ。
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot. -Charlie Chaplin
人生はクローズ・アップで見ると悲劇だが、ロング・ショットで見ると喜劇である。
ホントだなぁ:)
0 件のコメント:
コメントを投稿